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Fellatio Destination
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出た!デタンゲリヲンQ!
ついに!ついに見たぞ「エヴァンゲリヲン新劇場版Q」!

TV版を友達(このブログの絵を描いている人)に「このアニメ見るのら~」と薦められてから早18年。
「ロボットが人っぽい動きをしてかっこいい!」とすぐに心を奪われ、高校時代はエヴァのトレーディングカードを買い漁ることが唯一の放課後の楽しみでしたね。
「初版生産分しか認めない」とか意味不明なこだわりも今では良い思い出。
ま、そのせいで別の意味でカード破産状態だったわけですが、どうせカード買う以外にやることも無かったし。
とにかく、その当時から今まで同じアニメを見てるって凄くないっすか?え?

エヴァと言えば難解なストーリーや謎をちりばめたセリフ回しが実に香ばしく、それを香ばし仲間たちが集まり
「俺の解釈では死海文書に約束された生命の樹にまつわる…」とかをギトギトの顔して話合ったり、
家に帰って一人で「あやなみぃぃ~」と悶えながら自分のどこにも挿入できないエントリープラグを優しく、
ときには厳しく慰めてあげられるような色々な魅力が詰まったアニメ。
でも僕は頭がイマイチなせいか難解な話には興味がなく、さらに登場人物たちにもシンクロ率マイナスいってます!状態だったので純粋に、でかいアサルトライフル撃つ初号機ハァハァ(*^_^*)とロボットの動きに萌え萌えだった。そのせいかアニメ版が佳境に入るにつれエヴァのアクションが少なくなりどんどん冷めてしまった。
シンジ君が電車に乗って揺られていたり、禅問答をしている場面は本当につまらないなと思った。
で、最終話はよくわからん感じで終わり、「あ~知らん知らんもうわしゃ知らん!」このアニメはもうダメだと諦めて、集めたカードも今ではどこに行ったかわからないほど愛が無くなってしまったのだ。

月日は流れエヴァのことは忘れやっぱりガンダムが最高だよなと前向きに生きていたところ、
前出した友達がリュウ・ホセイの物真似をしながら「アムロ!エヴァの映画があるぞ!」とありがたいことに
教えてくれ、地元の映画館では上映していないのでわざわざ都会の映画館まで足を運ぶことになった。
今では映画は全席指定で立ち見をすることなんてほとんどなくなったが、昔は詰め込むだけつめこんで
インドの電車状態で映画を見ることは話題作にはままあった。
オタクとオタクのはさみ揚げではさんでいる具もオタクのような地獄映画鑑賞体験は「シト新生」と
「Air/まごころを、君に」以後は経験したことがない。
特に「Air/まごころを、君に」はオタクには辛い夏の上映だったので、そのスメルは正にセントラルドグマに到達するかの如く強烈な臭いだった。
劇場版の内容は関しては「シト新生」はほとんどアニメを再編集したものだったので何とも言い難い損した気持ちにさせられたが、「Air/まごころを、君に」は良いエヴァンゲリヲンを見たと充実した気持ちにさせてくれた。
ラストの有名なセリフ「気持ち悪い」が本当に気持ち悪かった身の上とすれば存分に納得せざるを得ず、
人間も社会も文化も気持ち悪かった90年代にはピッタリくる言葉だったと思う。

さらに月日は流れ、今度は違う友達からビートたけしの物真似で「エヴァンゲリヲンの新しい映画だよバカヤロー、あんちゃんも一緒に見に行くよな」と強制的に映画館に連行されたのがもう「序」だったのか「破」だったかは忘れた。
「序」は「シト新生」と同じように焼き直しを見せられ退屈だったし、使徒が表現豊かになっていて何を考えているかわからない不気味さが薄れていたのが嫌だった。
「破」はアクションも多く登場人物たちに人間味が増え、音楽も「太陽を盗んだ男」から引用されたりと楽しんで映画を作ってる感が伝わってくる内容だったが、エヴァ味が薄くシンプルなアニメ映画になっていたことが残念だった。
そして「Q」だ。

振り返ればエヴァ映画はオタク因果のせいで全て劇場で見ていたのだが、「Q」はレンタルが始まっていたことも知らないほど興味がなく、ツタヤで見かけたのでそういえば見てないなと借りたしだい。
ディスクを放り込んで始まった映画に度肝抜かれた。
なんとジオラマ撮影で実写ではないか!これは凄い!綾波レイのナレーションが入り、うわ今回のエヴァやばい!斬新だ!マジ裏かかれた!東京にエヴァの中身みたいなのがやってきて、口から怪光線を放ち街をぶっ壊す。なにコレ!面白い!アニメをやめたのは大正解だよ!庵野は昔から特撮好きだからな~今回のエヴァは面白くなるぞ!
とオープニングから大興奮していたら、クレジットが流れ出し次にアニメが始まったので今回どんだけ新しいことやってんだよ!とターちゃんのジェーンばりにつっこみを入れてたら、なんか最初の特撮映画はオマケみたいなものだと徐々に判明。恥ずかしいよ。なんで気付かなかったのかな「巨神兵東京に現る」という別の映画だったみたい。顔を真っ赤にして喜んでた自分が恥ずかしいよ。

勘違いから傑作を予感させた「Q」だけど、これはこれでなかなか久しぶりにエヴァンゲリヲンらしい映画で良かった。
ネタバレってやつをするけど、別にいいよね。
なんか前作からいきなり14年後の世界になっていて、アスカは眼帯してるしミサトさんは変なサングラス付けて
帽子かぶっているしリツコさんはナスビみたいな顔になっているしと怒涛の展開。
真っ赤な海の世界でシンジ君が復活するわけですが、さすがに全く状況が飲み込めず「わけわかんないよ!」と喚くのみ。さらにバカとかガキとかエヴァに乗るなとか乗れとかオマエいらないとか言いたい放題言われて茫然。
首には「バトルランナー」で囚人管理用に使われていた爆弾つき首輪を巻かれるし超バッド。
バトルランナー
初めから終わりまでいい。出てくる人間も全員合格の映画。


助けたはずの綾波は初期ロットのプロトタイプになっていて、無愛想な感じに先祖帰りしているし最悪。
友達はゲイ感がすごいカヲル君だけだし、やることはピアノの連弾だけ。
食べ物はカラフルなベチャベチャの物体だし、ゲンドウ父さんはまるで「新スタートレック」のフォージみたいなサングラスしてるしもう理解不能。
スタトレ
こいつ凄く良い人

ミサトさんはネルフと敵対する組織を作っているしともう気の休まる場所はシンジ君には残されていない。
というかこんな世界にしたのもシンジ君のせいとガッカリ事実も明かされる。
冬月に将棋に誘われ飛車、角、金落としでもボロ負けとシンジ君はいい所なし。
綾波に「あんとき助けたやんな?」と聞いても「知らない」と言われる始末。
もうクラクラとノイローゼ。その心情を画面がぐらんぐらんに揺れる古典な表現を使い実にわかりやすい。
「もうあかん。なんもやるきせんわ」と部屋にこもるシンジ君にカオル君が声をかける。
「エバでこんな世界になったんやし、エバで戻せばええば」とシンプルな提案がシンジ君の胸に突き刺さる。
首輪もカヲル君が代わりにつけてくれたし、もうシンジ君はメロメロ。
シンジ、カヲルと呼び合う仲に。
世界を戻すために二人乗りのエヴァ13号に乗り込むシンジ君とカヲル君。
二本のエントリープラグが差し込まれる場面は実にホモちっく。
みんなのために世界を戻そうと努力するシンジ君。そのためには二本の槍が必要なのです。
大きな変な塊に二本の槍が刺さっているのでそれを抜こうとテンションが上がりまくるシンジ君に対し、
隣に乗っているカヲル君の様子はブツブツと意味不明なことを呟き表情が曇りっぱなし。
「おかしいやん、なんかあの槍ちゃうんちゃう?やめよ、嫌な感じやわ帰ろ」と土壇場でおかしな感じになる。
槍を抜こうとする13号機を阻止しようとアスカとメガネが襲いかかる。
アスカが乗る2号機はドクターマシリトみたいになっている。かっこいい。
マシリと
ほんとこんな感じ

一生懸命に戦うシンジ君の横でカヲル君は「おかしいやん、おかしいやん」と言うだけで、
全然手伝わないのがおもしろい。
結果、槍を抜くわけですがカヲル君もアスカも「やめとき、やめときって」と言うのに抜くから大変なことになる。
なんとフォースインパクトが起きそうな感じになるのです。
槍を抜いてヤヌスみたいになった13号機にミサトさんが艦長を務める戦艦ブッダーが突っ込む。
本当にブッダーって名前なんだ。本当だ。
アスカと綾波は殺し合うし、カヲル君は爆死するしと嫌なことだらけ。
そのあとのセリフでメガネっ子が何度聞き直しても「まんこ君がゼーレの保険か」って言ってる。
ほとんどがゼーレのシナリオ通りに進んでいるらしく、でも今はこれでいいとゲンドウさんもミサトさんも言ってるので今はこれでいいみたい。
シンジ君はあまりのショックでまるで90年代シンジ君に逆行してエントリープラグ内で亀状態。
それをアスカが無理やり引っ張り出し、綾波を加えて赤い荒野を三人が歩いていく場面で今回は終幕。
次回は三人の心のふれあいと成長を描くロードムービーになるのかなと期待させる。

内容はほとんどこんな感じなので、見ていない人はこれを読んで興味があれば見ればいいよ。
個人的には今回の「Q」は面白かったし、次もこの調子で頑張ってほしい。
突然わけのわからない世界に放り込まれて翻弄されるシンジ君と同じ目線で「Q」の世界が体感できる
ライド型映画と思ってみれば、映画演出として真っ当だし今回は大正解だと思う。
意味がわからないと批判するのは的外れもいいところ。
意味がわからないのは「Q」で始まったことじゃないし、アニメに意味を求めたりするのはダサい。
主人公がとことんダメな奴で輝く瞬間が全くないまま、世界を破滅に導く映画なんて最高じゃないか。
「破」で少し過剰にあったエロい演出も今回は綾波の背中のみといった感じで、萌えバカどもに媚びていない感じも好感が持てたし、なによりロボットが戦う場面が多くてよかった。
ダラダラとした日常シーンが大嫌い派としては、終わった世界から始まる「Q」は退屈せず見ることが出来る今どき貴重なアニメのような気もした。次作で終わるのか続くのかは不明だが、どんどん続いて「デューン/砂の惑星」みたいな話になればいいのにと夢見てる。
最後に、今までエヴァンゲリヲンを見たことが無い人はこの「Q」から見てもいいんじゃないかな。
きっと何かわからないけど面白と感じることが出来ると思う。
子供の頃、なんの予備知識もなく「アニメだいすき!」を見て出会ったアニメを見ている感覚に近い映画だから。

エヴァ







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ロアルド・ダール「あなたに似た人」
おもしろい人間が二面性を持つように、おもしろい作家と言うのも二面性を持つものだ。
というのは誰が言ったかはしらないが、そう誰かから聞いたことがある。
そうかな?と疑問に思ったならば、ここはひとつあなたがおもしろいと思う人を思い浮かべてみるといいかもしれない。
きっとその人はよくわからない所があるひとなのではないだろうか。

ダールは児童文学とダークでアダルトな奇妙な短編集を得意とする作家でありんす。
意外にもというか、当然というか僕の中では児童文学、この際は寓話とダークでアダルトというのは密接などという言葉では足りないくらい、むしろ同義でいいんじゃないという面をもちあわせたジャンルだとおもっちょります。
グリムであったりイソップであったりと寓意に満ち満ちた作品というのは大人が楽しめるものでありますし。
かの有名な赤ずきんももとの口承ではえらいエロいはグロいはで大変だったと、更には童話を下敷きにした現代の物語、作品もやはりどこか物憂げで暗く、寂しいものが多いと思います。
ですがやはり一般的に子供が楽しめるものと大人が嗜むものは分けるべきではあるので、そこは設定をちょちょいと変えて料理するのが世の習わし。
なので表面上はやはり背反するジャンルを描く作家がそこかしこに存在するというわけだったりするんだろうなと思う次第です。
そしてダールもそれに漏れない作家であって、しかもチャーリーとチョコレート工場の原作者だったりします。
二三年前にはファンタスティックMrFOXという名前のアニメがやっていましたがこれもダールの児童文学が原作だったりします。
意外と知らず知らずにダールに触れているのです。
驚き。
そしてそのダールの珠玉の短編集が「あなたに似た人」
そもそもこの表題はNHKの大人気番組「お母さんといっしょ」の中のショートアニメ「こんなこいるかな」の大人版であることを多少なりとも意識せざるを得ませんが、しかしこれはまったく「こんなこいるかな」的なものではなく、こんな人は絶対にいてほしくないし、いるにはいるだろうけどお近づきにはなりたくないというのが正直な所だと思います。
そもそもこの短編集ハヤカワから出てる時点でおもしろくない筈がないと思うんです。

妙ちきりんな出版社ビイキなわけですがハヤカワが一番好きです。
何故ならペーパーバックがかっこいいから。
でもペンギンブックスのデザインが一番良い。

さて、そんなダールの短編集あなたに似た人収録でもっとも有名であり、かつ出来の良い一編
南から来た男がやはりせちがれも一番すきでございます。
カイジのあの名勝負もきっとこの作品にインスパイアされたのだろうと勝手にそう思ってます。
実際にあんな奇怪な老人に、あんな賭けを持ちかけれてもせちがれはのったりはしませんが
それでも一瞬考えてしまう程の報酬で、なにかの嘘か冗談かと、笑って許してくれるのではないかと、
そんな思いも一瞬で吹き飛ぶようなオチ。
やー見事の一言。そこまで想起させられたらほんとまいっちゃう。
文字だけで現された奇怪な人物の奇特な行動は想像力を否が応でも掻き立てられて不気味さ倍増。
視覚的、聴覚的に頼らずにここまで演出できるのはなかなかお目にかかれないと、そう思います。
日本人でもかの有名なロリコン宮崎駿もダールのファンであるらしいので、未読の方は是非是非一読あればよろしかろ。
劇場鑑賞レポ「アイアンマン3」
アメコミヒーロー映画といえば、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。70年代であれば、ジョン・ウィリアムスの勇ましい音楽をバックに拳を突き上げる「スーパーマン」。80年代であればプリンスのテーマソングと共に夜霧の立ち込める湿った暗い街の中を異形の車で疾走する「バットマン」。90年代に入るとCGの発達によりアメコミという題材に技術が追いつき、表現の幅はグッと広がる。角刈りサングラスの黒人が吸血鬼どもをバッタバッタと斬り捨てる「ブレイド」、悪魔との取引で地獄から舞い戻るダークヒーロー「スポーン」など多種多様だ。
ちなみに私の90年代アメコミ映画といえば「ミュータント・ニンジャ・タートルズ」だ。タートルズはアニメも放映され、当時の小学生全員に人気があった!というわけではないが、少なくとも私と友達数人は熱狂的にタートルズを信仰していた。用もないのに祖母の家へ足しげく通い、少額ずつもらう小遣いをためてミケランジェロ(オレンジ帯のタートルズ。ヌンチャク使いで食いしん坊。タートルズといえばピザっていうのはそもそもコイツのイメージ)のアクションフィギュアを買ったのを今でも覚えている。まあ、この作品はCGの発達により云々といったアメコミ映画の系譜とは全く違うところに位置にしているが、90年代はこうした子ども向けの作品から、完全に大人向けのダークな世界観のものまで、内容云々はともかく振り幅が広く、多くの作品が作られた時期。この極端でカオスな時期を経たからこそ、子どもから大人も楽しめる2000年代以降のアメコミ映画へとつながったのだと思う。
00年代からは記憶も新しく「X-MEN」「ファンタステッィック・フォー」「スパイダーマン」クリストファー・ノーラン版「バットマン」など、今アメコミ映画といって、このあたりを思い浮かべる人も多いのではないだろうか。
この中でも最もエポックメイキングであり、最も大きな功罪を抱えているのが「スパイダーマン」だと私は思っている。それまで、スパイダーマンといえば、バイク乗りで、鉄十字軍と戦うためにモジモジくんのような格好をしてビルを這い上がる日本人であり、お世辞にも格好良いとは言い難かったのに、いつしかスパイダーマンはそんな私の昭和的記憶の隙間を高速ですり抜け、世界で一番格好良いアメコミヒーローとなってしまった。って、それが本来の姿か。
スパイダーマンが画期的だったのは、ライド感溢れる映像表現だけでなく、ヒーローとしての苦悩を等身大で描いた点にあり、それまでの単純明快な勧善懲悪ものから新たな切り口を提示したという部分では、大きく評価されてしかるべきだが、この「ヒーローの苦悩」こそが、後のアメコミ映画に影響を与えすぎてしまっているのは大きな問題だ。
その影響とアンチテーゼを両方合わせ持った困ったシリーズがクリストファー・ノーラン版バットマン、いわゆる「ダークナイト」シリーズなわけだが、その件についてまで私のつたない駄文で語っても仕方がないので、やめておく。
とにかく、スパイダーマン以降のアメコミ映画は「ヒーローとしての苦悩」「アイデンティティーの崩壊」という、湿っぽく暗い話になりがちで、それ自体が嫌いとかアメコミのテーマに沿っていないとは勿論言わないが、スパイダーマンとダークナイトでひとつの到達点をみたのだから、それ以降同じような切り口のものを見せられても正直食傷気味だ。だったら、私は「POW!」というカラッと爽快感ある映画を観たいと思うし、アイアンマンがここまで人々に受け入れられ、スパイダーマン不在のアベンジャーズにおいて実質的センターの座を射止めることができたのも、そうしたアメコミヒーローとしての現状最も正しいあり方をトニー・スタークというキャラクターで見事に表現して見せたからではないか。そういう意味では、今年公開のザック・スナイダー版スーパーマン「マン・オブ・スティール」もアイデンティティやリアリズムの病理に蝕まれているのではないかと大いに心配している。
そうした不安が、今回の「アイアンマン3」にもあった。予告編はどうにもダークナイトを意識した感じだし、「アベンジャーズ以降PTSDに悩まされるアイアンマンことトニー・スターク社長は、、」みたいな筋にもかなり懐疑的だった。そのせいで、私は普段なら観たい映画は公開週に馳せ参じるのだが、今回は3週遅れでやっと劇場に足を運んだ。
結果から言う。これが私の観たかったアイアンマンだ。あえてディテールについては触れないが、心配していたアイデンティティの崩壊問題も、確かに物語のテーマではあるが、湿っぽくなりすぎず、トニ・スタークというキャラクターのバランスをきちんとおさえながら、クライマックスの伏線としてもしっかり機能させている。
「アイアンマン、そしてトニー・スタークとは何なのか?」というアイデンティティへの問いが、140分間の旅を経て、ひとつの答えに辿り着き、それが観客(少なくとも私)の観たいものと合致し、ワクワクさせてくれる。決して「隙のない完璧な映画」というような映画ではないが、こんなに幸福な映画体験は中々ない。
リブートや、メタ志向に走りがちな2010年代のアメコミヒーロー映画の潮流において、アイアンマンは3作目にして一本筋の通った現在進行形の王道アメコミヒーロー映画の確固たる位置を築いた。
この幸福な旅を是非、劇場で味わって頂きたい。
「21ジャンプストリート」の巻 前編
「21ジャンプストリート」は傑作だ。
ジョニー・デップの出世作であるドラマのリメイクだが、主役がジョナ・ヒルと
チャニング・テイタムなので当然アイドル映画ではない。
以前に比べれば格段に痩せたとはいえチビデブなヒルと、
男前だが頭の悪そうな表情が良い味のテイタムの二人がその魅力を
画面中にたぎらせた素晴らしいコメディ映画。

振り返ればこのジョナ・ヒルという男をかなり侮っていた部分があり、
実に恥ずかしいばかり。
アパトーギャング映画によく出てくるおもしろデブとしか認識しておらず、
ジョン・ベルーシ、ジャック・ブラックなどに続くおもしろデブの系譜ね、ワロス。と、
完全に舐めきっている時期が確かにあった。
芸風はジョンとジャックに比べかなり文系だけど。
「ハッカビーズ」にチョイ役で出ているときも
「ダスティ・ホフマンのコネコネ野郎め!」と思っていた。
「無ケーカクの命中男/ノックトアップ」でも主人公のセス・ローゲンを囲む
大人になりきれない男たちのなかで浮くほどひときわ若く顔はまるで赤ちゃんのヒルが、
思いがけない妊娠に揺れる主人公に対して何を言おうとも
「お前はまだ子供だろが!」と勝手に憤慨していたものだ。
そんなヒルの印象を変えるきっかけとなった映画はやっぱり「スーパーバッド 童貞ウォーズ」

「スーパーバッド 童貞ウォーズ」で童貞デブ高校生を演じているヒルは当時23歳か24歳くらいだが、
全く違和感はない。
ヒルの持ち味である超ベビーフェイスの正しい利用法で、
これは「21ジャンプストリート」にも存分に活かされている要素。
残念ながら「スーパーバッド」ではマイケル・セラの草食力と
シンデレラボーイであるクリストファー・ミンツ=プラッセ(マクラビンYeahhh!)に
ヒルは食われがちだが、アパトーギャングの兄貴分でもありこの映画の脚本を書いた
セス・ローゲンの分身であるセス役をヒルは見事に演じきっていた。
メイキングでヒルは冗談でマクラビンのことを
「あいつ嫌いだ」みたいなことを言っていたのが印象的だった。
やはり素材としてのポテンシャルの高さではマクラビンのような人間には勝てないと感じ取ったのだろう。
その後、ヒルは「僕の大切な人と、そのクソガキ」で複雑なマザコン青年を演じ
「マネーボール」ではブラット・ピットの相棒を演じてアカデミー助演賞にノミネートされるほど
演技派な部分も見せ始める。
このままドラマ路線に転向するかと思いきやさにあらず、
やはりヒルはコメディ映画にすぐ帰ってくる。
自らが製作総指揮と単独主演を務めるコメディ映画「ピンチシッター」を送り出すのだ。
この作品はヒルのクリエイターとしての才覚の片鱗を見せてはいたのだが、
この映画は子供と絡むことが多いせいか表現の規制もあり突き抜けた笑いが少ない。
腹の底からは笑えない消化不良感が残る少し残念な映画となっていた。
しかし「ピンチシッター」は映画を作る感覚を掴むにはちょうど良い作品だったようで、
次作「21ジャンプストリート」では製作と脚本にも乗り出すことになる。
そもそも脚本家志望だったヒルにとっては遂に念願かなったりといった状況だったろう。

ジョナ
アパトーギャングの人たち(手前がジョナ・ヒル)

前半だけでもまだまだつづく…







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